森林生態系の炭素動態と沿岸・海洋ブルーカーボン生態系の相互関係:持続可能な森林管理の視点から
はじめに:陸域と海域を結ぶ炭素循環
地球上の炭素循環において、森林生態系と海洋生態系は共に重要な炭素貯蔵庫および吸収源として機能しています。これら二つの広大な生態系は独立しているわけではなく、河川を通じた物質輸送などを介して密接に結びついています。特に、陸域の森林で固定・貯留された炭素の一部は、様々な形態で河川に流出し、最終的に沿岸域を経て海洋に運ばれます。沿岸域に分布するマングローブ林、塩性湿地、海草藻場といったいわゆる「ブルーカーボン生態系」もまた、高い炭素吸収・貯留能力を持つことが知られています。
本稿では、森林生態系における炭素の動態が、河川を通じて沿岸・海洋生態系、特にブルーカーボン生態系にどのように影響を及ぼすのか、その相互作用のメカニズムについて解説します。さらに、これらの陸海連結における炭素循環の視点から、持続可能な森林管理が沿岸・海洋生態系の健全性や炭素吸収能力にどのように貢献しうるのかについても考察します。
森林生態系の炭素貯留機能と陸域からの物質流出
森林生態系は、光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収し、バイオマス(樹木、林床植生など)や土壌中に有機炭素として大量に貯留する重要な役割を担っています。世界全体の陸域生態系による炭素吸収量の大部分は森林によるものと推定されています。森林内の炭素は、樹木の成長、落葉・落枝、土壌微生物による分解などを通じて、常にダイナミックに循環しています。
この森林内で循環する炭素の一部は、降雨や融雪に伴う水によって系外に持ち出されます。主な形態としては、水に溶け込んだ溶解性有機炭素(Dissolved Organic Carbon: DOC)や溶解性無機炭素(Dissolved Inorganic Carbon: DIC)、土砂に付着した粒子性有機炭素(Particulate Organic Carbon: POC)などがあります。これらの炭素成分は、森林内の土壌層や堆積物、枯死木などが起源となります。
陸域からの炭素成分の流出量は、森林の種類(針葉樹林か広葉樹林か、人工林か天然林かなど)、林齢、気候条件(降水量、気温)、地形、そして森林管理の状況によって大きく変動することが知られています。例えば、皆伐などの大規模な森林伐採は、土壌攪乱や植生被覆の変化を通じて、一時的にDOCやPOCの流出量を増加させる可能性があります。また、森林作業道の整備状況や密度も、土砂流出に伴うPOC輸送に影響を与えます。
沿岸・海洋ブルーカーボン生態系の役割
沿岸域に広がるマングローブ林、塩性湿地、海草藻場などは、単位面積あたりの炭素吸収速度が陸上森林を上回る場合がある、非常に効率的な炭素シンク(吸収・貯留源)として近年注目されており、「ブルーカーボン生態系」と呼ばれています。これらの生態系は、活発な光合成により有機炭素を生産するだけでなく、水没しやすい環境であることから、土壌中への有機炭素の分解されにくい形での長期貯留に優れています。特に、嫌気的な底質環境では有機物の分解が遅く、数百年から数千年スケールで炭素が蓄積される可能性があります。
ブルーカーボン生態系は、炭素吸収・貯留機能だけでなく、沿岸環境の浄化、高潮・津波の緩和、多様な生物種の生息・生育場所の提供など、多岐にわたる生態系サービスを提供しています。
陸域起源の炭素流出がブルーカーボン生態系に与える影響
陸域、特に森林から河川を経て沿岸域に運ばれる炭素成分は、ブルーカーボン生態系の機能に様々な影響を及ぼす可能性があります。
- 栄養塩供給と生産性への影響: 陸域からの有機物分解や土壌からの無機成分流出は、リンや窒素といった栄養塩類を沿岸域にもたらします。適度な栄養塩供給は、ブルーカーボン生態系の一次生産者である海草、海藻、マングローブなどの成長を促進し、炭素吸収能力を高める要因となりえます。
- 懸濁物質と光環境への影響: 森林からの土砂流出に伴うPOCや無機粒子などの懸濁物質の増加は、沿岸域の水の濁度を上昇させます。これにより、海草や海藻への光透過率が低下し、光合成が阻害されることで、生態系の生産性や健全性が損なわれる可能性があります。
- DOCの性質と微生物分解への影響: 陸域起源のDOCは、その化学的な性質(芳香族性、分子量など)によって、沿岸域の微生物群集による分解されやすさが異なります。分解されやすいDOCは水中の二酸化炭素濃度を上昇させる可能性がありますが、分解されにくい難分解性DOCは海洋深層への輸送や沿岸堆積物中での貯留に寄与する可能性が示唆されています。森林植生の種類や土壌特性が、流出するDOCの性質に影響を与えると考えられています。
- 基質供給と生態系構造への影響: 土砂流出は、干潟や浅瀬への堆積を引き起こし、ブルーカーボン生態系の分布域や構造を変化させる可能性があります。例えば、過度な土砂堆積は海草藻場を埋没させたり、干潟の底質を変化させたりすることがあります。
このように、陸域からの炭素および関連物質の流出は、ブルーカーボン生態系の生産性、光環境、微生物活動、さらには物理的な環境構造に複合的な影響を与え、その炭素吸収・貯留機能やその他の生態系サービスに影響を及ぼすことが示されています。
持続可能な森林管理と陸海連結炭素循環
陸域からの物質流出が沿岸・海洋生態系に与える影響を考慮すると、持続可能な森林管理が陸海連結炭素循環における重要な役割を果たすことが理解できます。
- 適切な伐採手法と時期の選択: 皆伐から択伐への移行や、伐採後の早期再造林・植生回復を促す施業は、土壌侵食や養分・炭素の急激な流出を抑制する効果が期待できます。土壌凍結期など、地盤が安定した時期の伐採も流出抑制に有効である場合があります。
- 森林作業道の適切な設計と管理: 作業道の密度を抑え、適切な排水処理や法面保護を行うことは、土砂やそれに付着したPOCの河川への流入を抑制するために極めて重要です。
- 緩衝帯の保全・創出: 河川や湖沼、海岸線に沿って森林を残す、あるいは植栽するなどして緩衝帯を設けることは、陸域からの物質流出を物理的・生態学的に捕捉・浄化する効果があり、水質保全に大きく寄与します。
- 森林の健全性維持: 病害虫被害や大規模な山火事は、森林の炭素貯留能力を低下させるだけでなく、大量の枯死木や土壌有機物を生み出し、その後の流出リスクを高めます。適切な間伐や病害虫対策による森林の健全性維持は、長期的な炭素安定貯留と流出抑制に繋がります。
- 樹種構成の多様性: 植栽する樹種や天然更新における樹種構成も、土壌形成やリター分解速度、ひいてはDOCの質や量に影響を与える可能性があります。地域固有の多様な樹種構成を持つ森林は、生態系の安定性だけでなく、水系への影響も多様化・分散させる可能性があります。
持続可能な森林管理を通じて、陸域からの炭素および関連物質の流出を質・量ともに適切に管理することは、沿岸・海洋ブルーカーボン生態系の健全性を維持し、その炭素吸収・貯留能力を保全・向上させることに間接的に貢献します。これは、気候変動緩和策としてのブルーカーボン生態系保全の取り組みを進める上でも、陸域と連携したアプローチの重要性を示唆しています。
今後の展望と研究課題
森林生態系と沿岸・海洋ブルーカーボン生態系の相互関係における炭素循環のメカニズムは複雑であり、未解明な点も多く残されています。特に、陸域起源のDOCが沿岸・海洋生態系でどのように利用・分解・貯留されるのか、その化学的な運命や生態系応答の詳細は、さらなる研究が必要です。また、気候変動による降水パターンの変化や極端な気象現象の増加が、陸域からの物質流出や沿岸生態系に与える影響の評価も重要な課題です。
持続可能な森林管理が沿岸・海洋ブルーカーボン生態系に与える影響を定量的に評価するためには、陸域、河川、沿岸域、海洋を含む連続的なモニタリング体制の構築や、生態系モデルを用いたシミュレーション研究が有効と考えられます。林業分野と水産・海洋分野、そして気候変動研究分野が連携し、分野横断的なアプローチで研究を進めることが、陸海連結生態系全体の健全性維持と炭素循環機能の保全に不可欠であると考えられます。
本稿が、陸域の森林管理と沿岸・海洋生態系保全、そして地球規模の炭素循環との繋がりに対する理解を深める一助となれば幸いです。