森林伐採残渣の流出が河川・沿岸域における有機物供給と底生生物多様性に与える影響:管理手法による違い
森林伐採後の残存バイオマスが陸海連結生態系に与える影響
森林生態系における物質循環、特に有機物の動態は、陸域のみならず河川を経由して沿岸域、さらには海洋生態系にまで大きな影響を及ぼすことが知られています。近年、森林資源の利用が進む中で、伐採後に現地に放置される枝条、葉、樹皮といった残存バイオマス(以下、伐採残渣)の管理が、下流の水域生態系に与える影響について関心が高まっています。本稿では、この伐採残渣が河川および沿岸域の有機物動態と底生生物多様性にどのような影響を与え得るのか、そして異なる管理手法がその影響にどう関わるのかについて、生態学的な視点から解説します。
伐採残渣の種類、発生、および水域への流出
森林伐採時には、主伐木として利用される幹材部分の他に、枝、葉、梢端、樹皮、未利用の小径木などが伐採残渣として発生します。その種類や発生量は、森林の種類、齢構成、伐採方法(皆伐、間伐など)、利用技術によって大きく変動します。例えば、皆伐では広範囲で大量の残渣が発生しやすく、特定の樹種では分解されにくいリグニンを多く含む樹皮の割合が高い場合もあります。
これらの伐採残渣は、降雨による地表流や浸透流、あるいは渓畔林の不安定化による直接的な流入、風による飛散などを通じて、下流域の河川に供給されます。特に、豪雨時や融雪時には、大量の残渣やそこから溶け出した有機物が一度に河川に流れ込むリスクが高まります。
河川・沿岸域における有機物動態への影響
河川や沿岸域に流入した伐採残渣は、物理的な形態と化学的な組成によって、異なる経路で生態系内の有機物動態に関わります。比較的大きな残渣は、物理的な攪乱や堆積を引き起こす可能性がありますが、微生物分解や破砕によって徐々に微細化されます。残渣に含まれる有機物は、水溶性の成分(溶解性有機炭素: DOC)として直接水中に溶け出すものと、粒子状のまま存在する成分(粒子性有機炭素: POC)として供給されるものに大別されます。
DOCは、水域の微生物群集にとって重要なエネルギー源・炭素源となり、微生物の活動を活発化させます。しかし、過剰なDOC供給は、分解プロセスにおける溶存酸素の大量消費を引き起こし、水域の貧酸素化を招く可能性があります。一方、POCは、デトリタスとして食物網の基盤となったり、底質の構造に影響を与えたりします。特に、分解が遅い難分解性の有機物(リグニン、セルロースなど)は、底質中に蓄積しやすく、底生環境を変化させる要因となり得ます。
伐採残渣由来の有機物の流入は、特に沿岸域の汽水域や内湾において、懸濁態有機物量や底質有機物量を増加させ、一次生産や二次生産のパターンを変化させる可能性が指摘されています。
底生生物群集への波及効果
河川および沿岸域の底生生物群集は、水質、底質、物理的構造といった環境要因に強く影響されます。伐採残渣の流入は、これらの環境要因を複合的に変化させ、底生生物群集の構造と機能に大きな影響を及ぼします。
- 物理的影響: 大量の残渣の堆積は、底生生物の生息空間を埋没させたり、底質を不安定化させたりすることで、既存の群集構造を破壊する可能性があります。特に、流れの緩やかな場所や河川の合流点、あるいは沿岸域の湾奥部などで影響が顕著になることがあります。
- 化学的影響: 残渣の分解に伴う有機物の増加は、前述のように溶存酸素の低下を引き起こす可能性があります。多くの底生生物にとって、溶存酸素レベルの低下は致命的であり、低酸素耐性の高い種が優占するようになるなど、群集組成が大きく変化することが報告されています。また、分解過程で放出される栄養塩類(窒素、リンなど)が、下流の沿岸域における植物プランクトンの増殖(時には有害藻類ブルーム)を促進し、間接的に底生生物に影響を与えることも考えられます。
- 餌資源への影響: 一部の底生生物は、伐採残渣そのものや、その表面に付着・増殖した微生物(バイオフィルム)を餌として利用します。したがって、残渣の供給は特定のデトリタス食者や微生物食者の個体数を増加させる可能性があります。しかし、全体としては、生息環境の悪化や他の食物源への影響を通じて、多様性の低下につながることが懸念されます。
研究事例として、森林伐採後の渓流において、残渣の堆積量が多い区間で、貧酸素化や底質構造の変化が確認され、それに伴いカゲロウ、カワゲラ、トビケラといった水生昆虫の多様性が低下し、特定のユスリカ類などが優占するようになったという報告があります。また、沿岸域では、河川からの有機物負荷の増加が、ベントス群集の構成やバイオマスに影響を与えた事例が観察されています。
異なる管理手法による影響の違い
伐採残渣の管理方法は多岐にわたり、それぞれの方法が下流域への影響リスクに違いをもたらします。
- 現地放置: 伐採現場にそのまま残渣を放置する方法です。最もコストがかかりませんが、残渣が河川に流出しやすく、特に急傾斜地や渓畔林に近い場所ではリスクが高まります。長期間にわたって有機物が供給される可能性もあります。
- 集積・積上げ: 残渣を特定の場所に集めて積み上げる方法です。流出リスクは軽減されますが、集積場所からの溶出や、長期的な分解に伴う影響が懸念されます。適切な場所選定と管理が必要です。
- 細断(チップ化): 残渣を細かくチップ状にする方法です。分解が促進されますが、細かくなった分、降雨時に流出しやすくなる可能性があります。また、短期間に大量の溶出性有機物が供給されるリスクも伴います。
- 搬出・利用: 残渣を現場から搬出し、エネルギー利用(バイオマス発電など)や堆肥化、ボード原料などとして利用する方法です。最も流出リスクが低減されますが、搬出コストや作業に伴う土壌攪乱のリスクが伴います。
これらの管理手法を選択する際には、地形、地質、気象条件、下流の水域生態系の感受性などを総合的に考慮する必要があります。例えば、急峻で降水量が多い地域では、現地放置や細断化による流出リスクが高まるため、搬出や集積場所の厳選がより重要になります。
まとめと今後の展望
森林伐採後に発生する残存バイオマスは、適切に管理されない場合、河川を経由して沿岸域に多量の有機物を供給し、水質悪化(特に貧酸素化)や底質環境の変化を通じて、底生生物群集の構造と多様性に大きな影響を与えることが示唆されています。その影響は、伐採残渣の種類、量、および最も重要となる管理手法によって大きく異なります。
現状では、伐採残渣の管理に関する統一的な生態学的影響評価手法や、下流域への影響を最小限に抑えるための具体的な管理指針は確立途上にあります。今後は、異なる管理手法が陸海連結生態系の有機物動態と生物多様性に与える長期的な影響を、より詳細なモニタリングやモデリング研究によって評価していく必要があります。また、林業と水産業、そして生態学の研究者が連携し、流域全体の物質循環と生態系応答を統合的に理解することで、持続可能な森林管理が下流域の水域生態系保全にどのように貢献できるかを示すことが期待されます。陸域における資源利用活動が下流域の生態系サービス(例:水産資源の維持、水質浄化)に与える影響を定量的に評価し、より環境負荷の低い森林管理技術やガイドラインの開発に繋げることが重要な課題と考えられます。