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陸海連結生態系保全における森林管理のエコシステムベースアプローチ:生物多様性への効果と国内外事例

Tags: 森林管理, 生態系ベースアプローチ, NbS, 陸海連結生態系, 生物多様性保全

はじめに:陸海連結生態系の重要性と新たな管理手法への期待

陸域と海域は、河川、地下水、大気などを介して密接に結びついており、これらの連続した生態系は「陸海連結生態系」あるいは「陸海相互作用系」と呼ばれます。森林は陸域における重要な要素であり、その管理状況は、河川を経て沿岸域や海洋生態系に大きな影響を及ぼします。土砂流出、栄養塩の供給、淡水流入量の変化、あるいは有機物の移動などは、陸域の森林活動によってその質や量が変動し、下流および沿岸域の生態系の構造や機能、さらには生物多様性に影響を与えます。

近年、気候変動や人為的な土地利用変化により、陸海連結生態系はかつてないほどの圧力にさらされており、その健全性と生物多様性の維持が喫緊の課題となっています。これまでの多くの環境管理は、特定の問題(例:富栄養化対策、土砂災害対策)に焦点を当てた単一の対策が中心となる傾向がありました。しかし、陸海連結生態系の複雑性を考慮すると、より統合的で生態系全体のレジリエンス(回復力)を高めるアプローチが求められています。

このような背景から、「生態系ベースのアプローチ(Ecosystem-based Approach: EbA)」や「自然を活用した解決策(Nature-based Solutions: NbS)」といった概念が、森林管理を含む自然資源管理の分野で注目されています。これらのアプローチは、生態系そのものの健全性を維持・回復させることで、気候変動への適応・緩和、防災、水資源管理、そして生物多様性保全といった多様な社会的課題の解決を目指すものです。本稿では、森林管理におけるEbA/NbSが、陸海連結生態系の生物多様性保全にどのように貢献しうるのか、そのメカニズムと国内外の具体的な事例に焦点を当てて解説します。

生態系ベースのアプローチ(EbA)と自然を活用した解決策(NbS)の概要

EbAは、気候変動への適応を主な目的として、生物多様性および生態系サービスを保全、持続可能な形で管理、あるいは修復することにより、社会や生態系が気候変動の悪影響に適応できるよう支援するアプローチとして、生物多様性条約(CBD)などにより提唱されています。一方、NbSは、生態系の保護、持続可能な管理、修復を通じて、社会課題に対する効果的かつ適応的な解決策を提供し、同時に人間の福祉と生物多様性の双方に恩恵をもたらす活動と定義されています。これらの概念は密接に関連しており、多くの場合、同じ活動を指すことがあります。特に、NbSは気候変動適応に限定されず、防災、水質浄化、健康増進など、より広い範囲の社会課題解決を目指す点で、EbAよりも包含的な概念として捉えられることがあります。

従来の森林管理が木材生産性や災害防止といった特定の目的に特化しがちであったのに対し、EbA/NbSに基づく森林管理は、森林が持つ多面的な機能、特に生物多様性の維持、水質・水文調節、土砂流出抑制、炭素貯留といった生態系サービス全体を維持・向上させることに重点を置きます。これにより、森林生態系そのもののレジリエンスを高め、下流の河川や沿岸生態系に対しても正の波及効果をもたらすことを目指します。

森林管理におけるEbA/NbSの具体的な手法と陸海連結生態系への効果

森林管理におけるEbA/NbSは、単一の技術や手法に限定されるものではなく、地域の生態学的・社会経済的状況に応じて多様なアプローチが組み合わされます。陸海連結生態系の生物多様性保全に資する代表的な手法としては、以下が挙げられます。

  1. 流域全体を考慮したゾーニングと施業計画:

    • 水源地や河畔域など、生態系サービスの供給源として特に重要なエリアを保全区域に指定し、厳格な管理を行います。
    • 伐採を行う区域においても、皆伐ではなく択伐や漸伐を導入したり、伐採面積を制限したりすることで、土壌撹乱を最小限に抑え、植生のカスケード的な遷移を促進し、生物多様性を維持します。
    • 異なる林齢や樹種のモザイク的な配置を計画することで、森林全体の生物多様性を高め、特定の病害虫や気候変動へのレジリエンスを向上させます。
  2. 河畔林の保全と再生:

    • 河川沿いの森林帯(河畔林)は、水質浄化、河岸浸食抑制、土砂流出抑制、水温安定化、陸生・水生生物への生息場・移動経路提供など、多様な生態系サービスを提供します。
    • 適切な河畔林管理(例:不要な構造物の撤去、多様な在来樹種の植栽)は、河川生態系の生物多様性を高めるだけでなく、河川を通じて沿岸域に流入する栄養塩や土砂の量を調節し、沿岸水質や底質環境を改善することで、藻場や干潟、サンゴ礁といった沿岸生態系の健全性維持に貢献します。これは、これらの沿岸生態系が支える魚類、甲殻類、貝類などの生物多様性、ひいては水産資源の持続可能性にも直接的に影響します。
  3. 持続可能な路網整備と管理:

    • 森林作業道は、不適切な設計や管理がなされると、土砂流出の主要な発生源となりえます。
    • EbA/NbSの観点からは、地形や土壌特性を考慮した適切な路網計画、排水施設の整備、使用後の植生回復促進などにより、土砂流出リスクを最小化します。これにより、河川や沿岸域への土砂負荷を軽減し、生物多様性への悪影響を防ぎます。
  4. 広葉樹の導入・育成と多様な樹種構成:

    • 針葉樹人工林一辺倒ではなく、広葉樹の導入や天然林の活用により、森林全体の生物多様性を高めます。
    • 多様な樹種は、異なる時期にリター(落ち葉や枯れ枝)を供給し、これが分解されることで河川や沿岸域に多様な溶存有機物(DOM)や栄養塩を供給します。DOMの質と量は、水中の微生物群集の構造や機能に影響を与え、流域全体の物質循環と生物多様性に影響を及ぼすことが知られています。

陸海連結生態系における生物多様性保全への貢献メカニズム

森林管理におけるEbA/NbSが陸海連結生態系の生物多様性保全に貢献するメカニズムは多岐にわたります。主なものを以下に示します。

国内外の事例研究と評価の課題

森林管理におけるEbA/NbSの陸海連結生態系への具体的な貢献を示す事例は増えつつあります。例えば、日本の里山林管理が、流域の河川水質改善を経て沿岸域の海苔養殖に貢献している事例や、東南アジアにおけるマングローブ林と上流域の森林保全を組み合わせた沿岸防災・漁業資源管理プロジェクトなどが報告されています。特定の地域では、広葉樹林化や長期的な禁伐が、河川流量の安定化や清澄化をもたらし、アユやサケ科魚類の遡上・産卵環境の改善に繋がった研究結果も発表されています。

しかし、EbA/NbSの効果を定量的に評価し、それが陸海連結生態系全体の生物多様性保全にどの程度貢献しているのかを科学的に示すことは容易ではありません。効果の発現には長期的な時間スケールが必要であり、また、気候変動や他の人為的影響(例:沿岸開発、漁業活動)との複合的な影響を分離して評価する必要があるためです。流域全体から沿岸域、さらには海洋までを含む広域的かつ多角的なモニタリング体制の構築が不可欠であり、リモートセンシング技術、DNAメタバーコーディングによる生物相分析、同位体分析による物質循環追跡など、多様な手法を組み合わせた統合的なアプローチが求められています。

また、EbA/NbSの実施には、林業、水産業、環境保全、地域社会開発など、多様なセクター間の連携が不可欠です。科学的な知見に基づいた政策決定と、地域住民や関係者の参加を促進するガバナンス体制の構築が、成功の鍵となります。

結論:持続可能な陸海連結生態系管理におけるEbA/NbSの重要性

陸海連結生態系の生物多様性を将来にわたって保全するためには、陸域における森林管理が果たす役割を改めて認識し、生態系ベースのアプローチや自然を活用した解決策を積極的に導入することが重要です。これらのアプローチは、森林生態系本来の機能を活用・強化することで、単に木材生産や特定の防災効果に留まらず、河川水質や水文の改善、土砂流出抑制、生息地の連結性維持といった多面的な効果をもたらし、下流の沿岸・海洋生態系の生物多様性保全に貢献します。

EbA/NbSの実践には、科学的なモニタリングに基づいた効果評価、分野横断的な協力体制の構築、そして長期的な視点での計画と実施が求められます。これらの取り組みを通じて、陸と海の豊かな繋がりを維持・回復させることが、持続可能な社会の実現に向けた重要な一歩となるでしょう。今後の研究においては、具体的なEbA/NbS手法の生態系機能や生物多様性への定量的な影響評価、気候変動下での効果予測、そして社会経済的な側面を含めた総合的な評価手法の開発が期待されます。