森と海の豊かさガイド

森林水資源涵養機能の変化が沿岸汽水域塩分環境と特定水産資源・生物多様性に与える影響

Tags: 森林管理, 水資源涵養, 沿岸生態系, 汽水域, 塩分環境, 水産資源, 生物多様性, 陸海連結

はじめに

陸域と水域、特に森林と沿岸・海洋生態系は、物質循環やエネルギーフローを通じて密接に連携しています。この陸海連結システムにおいて、森林の水資源涵養機能は、河川を通じて沿岸域に流入する淡水の量やパターンを調整する重要な役割を担っています。沿岸域の中でも、河川からの淡水と海水が混じり合う汽水域は、多様な生物が生息し、アサリやカキ、特定の魚類など、水産資源の生産性が高い場である一方、塩分変動に非常に脆弱な生態系でもあります。

森林の水資源涵養機能の変化は、河川の流量変動を引き起こし、結果として沿岸汽水域の塩分環境を変化させることが知られています。この塩分環境の変化は、汽水域生態系に生息する生物、特に特定の塩分域に依存する水産資源や生物多様性に直接的あるいは間接的な影響を及ぼす可能性があります。本稿では、森林の水資源涵養機能のメカニズムとその変化要因を概観し、その変化が河川水文、沿岸汽水域の塩分環境を経て、特定の水産資源や生物多様性に与える影響について、陸海連結の視点から解説します。

森林の水資源涵養機能とその変化要因

森林の水資源涵養機能とは、森林土壌や植生が雨水を一時的に貯留し、地下水として涵養する、あるいは河川への流出を遅延させる機能の総称です。この機能により、森林は降雨時の急激な河川流量の増加(洪水)を緩和し、降雨のない期間(渇水期)には安定した河川流量(基底流量)を維持する働きを持ちます。

水資源涵養機能のメカニズムには、樹冠による降雨の遮断、林床の堆積物や落葉落枝による水の吸収・貯留、発達した根系による土壌の団粒化と透水性の向上、そして斜面における地中水の流動経路などが関与しています。特に、森林土壌が健全な状態であること、すなわち豊富な有機物を含み、団粒構造が発達していることは、高い保水能力と透水性を維持するために重要です。

この水資源涵養機能は、森林の植生構造(樹種構成、齢構成、密度)、土壌の状態、地形、地質、そして気候条件によって異なります。また、森林管理活動(例: 皆伐、間伐、植林、下層植生管理、林道・作業道開設)や自然攪乱(例: 森林火災、風倒、病虫害被害)によっても変化します。例えば、皆伐は一時的に林床への降雨到達量を増加させますが、一方で土壌の圧縮や流出を招き、長期的な水資源涵養機能を低下させる可能性があります。広葉樹林は針葉樹林に比べて保水能力が高い土壌を形成しやすい傾向がある、といった樹種による違いも指摘されています。さらに、気候変動による降水パターンの変化や極端な干ばつの増加は、森林の健全性を損ない、涵養機能を低下させるリスクを高めます。

河川水文と沿岸汽水域塩分環境への影響

森林の水資源涵養機能の変化は、まずその流域内の河川水文に影響を及ぼします。涵養機能が低下すると、降雨時のピーク流量が増大し、渇水期の基底流量が減少するなど、流量変動が大きくなる傾向があります。逆に、適切な森林管理により涵養機能が維持・向上されれば、流量変動が緩和され、より安定した淡水供給が期待できます。

河川からの淡水流入量の変化は、沿岸汽水域の塩分環境に直接的な影響を与えます。汽水域は淡水と海水が混じり合う場であり、その塩分濃度は河川流量と潮汐による海水流入量のバランスによって規定されます。

これらの塩分環境の変化は、汽水域の塩分濃度勾配(河口から上流に向かって塩分濃度が連続的に変化する構造)や、淡水と海水が層状に分かれる成層構造にも影響を与えます。これらの物理環境の変化は、汽水域生態系の構造と機能に広範な影響を及ぼします。

特定水産資源・生物多様性への波及効果

汽水域に生息する生物の多くは、特定の塩分範囲に適応して進化してきました。塩分濃度やその変動パターンは、これらの生物の生息、成長、生殖、そして生残にとって極めて重要な環境要因です。森林の水資源涵養機能の変化に起因する汽水域の塩分環境の変化は、特に塩分変動に敏感な生物種に大きな影響を与えます。

これらの影響は、単に水産資源量の減少にとどまらず、汽水域の持つ生態系全体の健全性やレジリエンス(攪乱からの回復力)の低下につながるため、生物多様性保全の観点からも重要な課題です。

持続可能な森林管理による汽水域保全への貢献

森林の水資源涵養機能を維持・向上させることは、河川流量の安定化を図り、結果として沿岸汽水域の塩分環境の極端な変動を緩和するために有効な手段の一つと考えられます。持続可能な森林管理は、流域全体の水循環の健全性を保つ上で重要な役割を果たします。

具体的には、水源林の保護・管理の強化、皆伐面積の抑制、択伐や誘導伐のような小面積での伐採の推進、伐採跡地の早期植林、広葉樹や針広混交林の育成による多様な森林構造の維持、路網整備における土砂流出防止対策の徹底などが挙げられます。これらの施策は、土壌の保水能力を維持し、地中水の適切な流出を促すことで、河川への安定した淡水供給に貢献します。

また、森林管理と沿岸水産業・生態系保全を連携させるためには、流域全体の視点に立った統合的な管理が不可欠です。陸域(森林・河川)と水域(沿岸・海洋)の専門家や関係機関が連携し、流域全体の物質・エネルギー循環や生態系機能の繋がりを理解した上で、それぞれの管理目標や施策を調整していく必要があります。

まとめと今後の展望

森林の水資源涵養機能は、河川水文を経て沿岸汽水域の塩分環境に影響を及ぼし、特に塩分変動に敏感な水産資源や生物多様性に波及効果をもたらす重要な陸海連結要素です。持続可能な森林管理は、水資源涵養機能を維持・向上させることで、沿岸汽水域の塩分環境を安定させ、その生態系と水産資源の保全に貢献する可能性があります。

しかしながら、陸域の森林管理活動が下流の沿岸生態系に与える定量的な影響評価や、気候変動下での将来予測に関する研究は、まだ十分とは言えません。異なるスケール(森林区画、小流域、大流域、沿岸海域)での水文・生態系プロセスの連結性を詳細に解析し、長期的なモニタリングデータに基づいた評価を進めることが今後の課題です。また、林業、水産業、生態学、水文学、社会科学など、異分野の研究者や実務者が連携し、統合的な流域管理モデルを構築し、実践していくことが求められています。

本稿が、陸域と水域の相互作用、特に森林管理が沿岸汽水域生態系に与える影響に関する理解を深め、今後の研究や実践活動の参考となることを期待いたします。