皆伐、択伐、間伐といった主要な森林施業が河川・沿岸生態系に与える影響:物質流出、水質、生物多様性の変化に関する長期モニタリング事例
はじめに:森林施業が陸海連結生態系に及ぼす影響の重要性
森林は、陸域生態系の一部として生物多様性を保持し、水源涵養機能を通じて水資源を供給するなど、多面的な機能を有しています。一方で、木材生産などを目的とした森林施業は、土地利用変化の一形態として、森林生態系そのものに直接的な影響を与えます。しかし、その影響は陸域に留まらず、河川を介して下流の淡水生態系、さらには沿岸・海洋生態系へと波及することが知られています。特に、異なる施業方法が、河川における物質の輸送や水質、生物群集の構造にどのような差異をもたらし、それが沿岸域の生物多様性や生態系機能にどのように影響するのかを理解することは、持続可能な森林管理と陸海連結生態系全体の保全を考える上で極めて重要です。
本稿では、皆伐、択伐、間伐といった主要な森林施業が、陸域からの物質流出、河川水質、そして河川および沿岸域の生物多様性に与える影響について、これまでの研究で明らかになっているメカニズムや長期モニタリングによって得られた知見に基づき解説します。
主要な森林施業の種類とその特徴
森林施業には様々な方法がありますが、代表的なものとして以下が挙げられます。
- 皆伐 (Clear-cutting): 区画内の樹木を全て伐採する方法です。単位面積当たりの伐採量が最も多くなり、森林構造が大きく変化します。施業後の植生回復には時間がかかります。
- 択伐 (Selection cutting): 区画内の特定の径級や樹種の樹木を選択的に伐採する方法です。森林構造の大きな変化を避けつつ、継続的な木材生産を目指します。
- 間伐 (Thinning): 健全な森林の成長を促すために、込み合った樹木の一部を伐採する方法です。森林全体の密度を調整し、残存木の生育環境を改善します。
これらの施業は、森林の持つ生態系機能に対して異なる程度と種類の影響を与えます。特に、土壌の安定性、水文応答、植生被覆の状態などに違いが生じ、これが下流への影響の起点となります。
森林施業が河川を経由して下流に与える影響メカニズム
森林施業が河川や沿岸域に影響を及ぼす主要なメカニズムは、主に以下の要素の変化を介したものです。
1. 物質流出の変化
施業によって林冠構造が変化し、地表への雨滴の影響が大きくなることや、作業による地表撹乱、伐採後の残渣(枝葉など)の堆積などが起こります。これにより、土壌浸食が促進され、懸濁物質(SS: Suspended Solids)の流出が増加する可能性があります。また、伐採による植生からの栄養塩吸収の低下や、有機物の分解促進、施業に伴う肥料等の使用により、窒素やリンといった栄養塩類、溶存有機炭素(DOC: Dissolved Organic Carbon)などの溶存物質の流出量が増加する傾向が見られます。これらの物質は河川を通じて下流へと運ばれ、水質や生態系に影響を与えます。
2. 水質の変化
物質流出の変化に加えて、施業は河川水質そのものにも影響を及ぼします。懸濁物質の増加は水の濁りを引き起こし、光の透過率を低下させます。栄養塩の増加は河川や沿岸域における富栄養化を引き起こし、藻類の異常増殖(ブルーム)やそれに伴う溶存酸素の低下(貧酸素化)を招く可能性があります。有機物の増加は河川内の生物による分解を促進し、溶存酸素を消費します。また、施業地の土壌や残渣からの溶出によって、河川水のpHやイオン組成が変化することも報告されています。
3. 水文応答の変化
大規模な皆伐などは、流域全体の蒸発散量を低下させ、地表流や地下水流出を増加させることがあります。これにより、降雨時の河川流量のピークが大きくなり、流量変動が増幅される可能性があります。急激な流量変化や洪水頻度の増加は、河川の物理環境を変化させ、河床の洗掘や土砂の再堆積を引き起こすなど、水生生物の生息環境に直接的な影響を与えます。
河川・沿岸生態系への影響:生物多様性の観点から
これらの物理的・化学的な変化は、河川および沿岸域の生物多様性に直接的または間接的な影響を与えます。
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水生生物群集への影響:
- 懸濁物質の増加や河床への微細な土砂の堆積は、底生動物や魚類の産卵床となる礫間環境を劣化させます。
- 水温の上昇(特に夏季に林冠が失われた場合)は、冷水性の魚類や水生昆虫に悪影響を与える可能性があります。
- 溶存酸素の低下は、多くの水生生物にとって致命的となることがあります。
- 栄養塩や有機物の変化は、河川内の藻類や細菌の群集構造を変化させ、食物網の基盤に影響を及ぼします。
- 流量変動の増幅は、不安定な生息環境を作り出し、特定の生物種の定着を困難にする可能性があります。 これらの変化は、水生生物の種数、個体数、群集構成、さらには遺伝的多様性にも影響を与え得ます。
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沿岸生態系への影響:
- 河川から流入する懸濁物質は、沿岸域の光環境を悪化させ、海藻藻場やサンゴ礁の健全な生育を妨げる可能性があります。
- 栄養塩の過剰な流入は、沿岸域の富栄養化を進行させ、有害藻類ブルームの発生リスクを高めます。これは水産資源への影響や、生態系全体のバランスの崩壊につながります。
- 有機物の流入増加は、沿岸底泥の貧酸素化を引き起こし、底生生物群集に壊滅的な影響を与えることがあります。
- 淡水流量の変化は、沿岸汽水域の塩分環境を変動させ、特定の生物種(カキやアサリなどの貝類、汽水魚など)の生息に影響を与えます。
異なる森林施業間の影響比較と長期モニタリングの示唆
異なる施業方法を比較した研究や長期モニタリングは、それぞれの施業が下流生態系に与える影響の質や規模、持続期間に違いがあることを示唆しています。
一般的に、皆伐は施業直後に最も大きな土砂流出、栄養塩流出、水温上昇などを引き起こす可能性が高いと報告されています。影響はその後数年から十数年かけて、植生回復とともに徐々に低下していく傾向が見られます。しかし、土壌の物理構造や栄養塩の保持能力の回復にはより長い時間を要する場合もあります。
一方、択伐や適切な間伐は、林冠や土壌構造への撹乱が皆伐に比べて小さいため、下流への物理的・化学的な影響を比較的低く抑えられる傾向があります。しかし、施業の強度や方法によっては、やはり土砂流出や栄養塩流出の増加が見られることもあります。特に、作業道の設置方法や、伐採木の搬出方法が不適切である場合、局所的に大きな土砂流出を引き起こす可能性があります。
長期モニタリングデータは、施業の影響が単年度で終わるものではなく、年間の水文パターンや気候変動の影響とも相互作用しながら現れる複雑な現象であることを示しています。例えば、施業後の大雨や台風は、通常時よりもはるかに大きな土砂流出を引き起こす可能性があります。また、回復過程において、新たな植生が定着するまでの期間や、その後の植生遷移の過程も、下流生態系の回復速度や最終的な状態に影響を与えます。
具体的な事例としては、海外の研究流域で行われた長期モニタリングにおいて、皆伐区では施業後数年間にわたり河川水中の硝酸態窒素濃度が著しく増加し、下流の湖沼の富栄養化に寄与した事例や、間伐後も作業道からの土砂流出が継続し、河川の底生動物群集構造に影響を与え続けた事例などが報告されています。国内においても、人工林の間伐が河川水質やサケ科魚類の生息環境に与える影響を評価する研究などが進められています。
これらの知見は、持続可能な森林管理計画を策定する上で、単に木材生産効率だけでなく、下流の河川・沿岸生態系への影響を事前に評価し、施業方法や時期、強度、さらには作業道の配置や管理方法などを適切に選択することの重要性を示しています。
結論:陸海連結生態系保全に向けた今後の展望
異なる森林施業は、それぞれが持つ特徴を通じて、陸域から河川を経て沿岸生態系に至る陸海連結生態系全体に複雑な影響を及ぼしています。特に、物質流出や水質、水文応答の変化は、河川・沿岸域の生物多様性や生態系機能に直接的または間接的な影響を与えることが、長期モニタリングや比較研究によって明らかになってきています。
持続可能な森林管理は、木材生産と同時に、水源涵養機能や土砂流出抑制機能など、森林の持つ公益的機能の維持・向上を目指すべきであり、そのためには下流生態系、特に河川や沿岸域への影響を最小限に抑える施業方法の選択が不可欠です。これには、皆伐面積の制限、緩衝帯( riparian buffer zone)の設置・保全、適切な間伐の実施、作業道の適切な設計と管理などが含まれます。
今後の研究においては、単一の施業方法の影響だけでなく、複数の施業が複合的に行われた場合の影響や、気候変動による水文パターンの変化が施業影響をどのように変調させるかといった、より複雑な相互作用の解明が求められます。また、影響評価においては、化学的・物理的指標だけでなく、生態系機能や生物の遺伝的多様性といった、より包括的な指標を用いた長期的な視点でのモニタリングが重要となります。これらの科学的知見の蓄積は、陸海連結生態系全体を視野に入れた、より効果的な保全・管理策の立案に貢献するものと考えられます。