ダム等河川構造物が陸域起源物質流出と沿岸・海洋生態系へ及ぼす影響:生物多様性への波及効果
はじめに:陸海連結生態系における河川構造物の役割と影響
河川は、陸域、特に森林生態系で生産・集積された物質(土砂、有機物、栄養塩など)やエネルギーを沿岸域、さらには外洋へと輸送する重要な経路です。この物質・エネルギー輸送は、河川そのものだけでなく、河口域の汽水生態系、沿岸域の干潟、藻場、サンゴ礁、さらには海洋の基礎生産や食物網に至るまで、陸海連結生態系の多様な構成要素と機能に深く関わっています。
一方で、治水、利水、発電といった多様な目的のために建設されてきたダムや堰などの河川横断構造物は、この自然な物質・エネルギー輸送経路を根本的に改変します。これらの構造物は、河川の流れを堰き止め、水の利用形態を変えるだけでなく、上流からの土砂や有機物の流下を遮断・貯留し、下流への供給量を大幅に減少させます。この改変は、単に物理的な影響に留まらず、化学的、生態学的な影響として陸海連結生態系全体に波及し、生物多様性や水産業に深刻な影響を及ぼすことが国内外の多くの研究で報告されています。
本稿では、ダム等河川構造物が陸域起源の物質・エネルギー輸送にどのように影響し、それが河川、沿岸、海洋生態系および生物多様性にどのような波及効果をもたらすのかについて、そのメカニズム、具体的な影響、評価手法、そして今後の課題について解説します。
河川横断構造物による物質・エネルギー輸送の改変メカニズム
ダムや堰が物質・エネルギー輸送に与える主要な影響メカニズムは以下の通りです。
1. 土砂輸送の遮断と堆積
ダム湖は河川流速を大幅に低下させるため、上流から供給される土砂(礫、砂、シルト、粘土)の大部分を貯留します。その結果、下流への土砂供給量は激減し、河床材料の組成変化や河床低下を引き起こします。沿岸域では、河川からの土砂供給不足が海岸侵食を進行させたり、干潟や三角州の形成・維持を阻害したりします。また、沿岸の濁度低下は、光合成を行う藻場やサンゴ礁に影響を与える場合がある一方、栄養塩を吸着した微細な土砂の供給減少は、沿岸域の生産性にも影響を及ぼす可能性があります。
2. 有機物・栄養塩輸送の改変
森林からの落葉・落枝などの粗大有機物や、土壌由来の溶解性有機物、栄養塩類(窒素、リンなど)もダム湖に流入します。ダム湖内では、これらの物質の一部が分解されたり、粒子として沈降・貯留されたりします。特に、溶解性有機物の分子量組成や栄養塩の形態がダム湖内で変化することが知られています。ダムからの放流水は、表層取水か底層取水かによって水温や溶存酸素、栄養塩濃度が異なる場合があり、下流河川や沿岸域の生態系に影響を与えます。また、季節的な渇水や洪水調節のためのダム操作が、自然な流量変動パターンと異なる物質流出を引き起こし、下流生態系に影響を与えることもあります。
3. 河川流量・流出パターンの変化
ダムによる貯留と放流の操作は、河川の自然な流量変動パターン(季節変動、日変動、洪水時の流量増加など)を改変します。例えば、渇水期の流量が人為的に維持される一方、洪水時のピーク流量が抑制されることがあります。また、発電用ダムでは日単位での急激な流量変動(ピークシフト運転)が発生することがあります。これらの水文変化は、下流河川や汽水域の塩分濃度、水温、溶存酸素濃度といった物理化学的環境に直接的な影響を与え、そこに生息する水生生物の生理や生態に影響を及ぼします。
生物多様性への波及効果
河川構造物による物質・エネルギー輸送や水文パターンの改変は、陸海連結生態系全体の生物多様性に複合的かつ深刻な影響を及ぼします。
1. 河川生態系への影響
ダム直下では、土砂供給不足による河床の粗粒化、栄養塩供給の変化、水温・流量の変化などにより、特定の水生昆虫や魚類の生息環境が悪化し、生物群集構造が変化することが報告されています。また、人工的な流量変動は、河川の物理的安定性を低下させ、生物相を単純化させる可能性があります。
2. 回遊性生物の移動阻害
ダムは、サケマス類、アユ、ウナギ、カニ類など、河川と海を行き来する回遊性生物にとって越えられない障壁となります。これにより、これらの種の産卵場や生育場へのアクセスが遮断され、個体群の維持が困難になります。長期的に見ると、遺伝的な交流が断たれることによる遺伝的多様性の低下や、特定河川での絶滅リスクを高めることにつながります。これは、回遊性魚類を主要な資源とする水産業にも直接的な打撃となります。
3. 沿岸・海洋生態系への影響
河川からの土砂や栄養塩供給の減少は、沿岸域の基礎生産性や生息環境に影響を及ぼします。例えば、干潟や藻場は、河川からの土砂や栄養塩供給を受けて発達・維持される重要な生態系であり、多くの魚類、貝類、甲殻類、鳥類などの生息・生育場となっています。土砂供給不足による干潟の縮小や消失は、これらの生物の減少や絶滅リスクを高めます。また、河川水質の変化(濁度、栄養塩組成)が、沿岸域の植物プランクトンブルームや赤潮の発生パターンに影響を与えたり、特定の藻類の生育を抑制したりする可能性も指摘されています。
さらに、河川からの淡水流入パターンの変化は、汽水域や沿岸域の塩分成層構造や海水の混合状況に影響を与え、プランクトンや底生生物の分布、漁場形成に影響を及ぼすことがあります。
評価手法と研究事例
河川構造物が陸海連結生態系に与える影響の評価は、単一の構造物や地域に限定されず、流域全体、さらには沿岸・海洋域までを包括する広範かつ長期的な視点が必要です。主な評価手法としては、以下のようなものがあります。
- 物質収支分析: ダムの流入・流出における土砂、有機物、栄養塩などの収支を定量的に評価し、ダムによる貯留・変化量を推定する。
- 水文・物質循環モデル: 河川流域から沿岸・海洋までの水や物質の動態をモデル化し、ダムの有無や操作条件の違いによる影響をシミュレーションする。
- 生態系モニタリング: ダム上下流や沿岸域において、水質、底質、水生生物(魚類、底生生物、藻類、プランクトン)、生息環境(河床形態、干潟・藻場の面積)などを継続的に調査し、長期的な変化を検出する。指標生物や多様性指数を用いた評価も行われます。
- リモートセンシング: 衛星画像や航空写真を用いて、沿岸の地形変化(海岸線、干潟・三角州の面積変化)や植生(藻場、マングローブ)の分布変化を広域的に把握する。
- 魚類生態研究: 回遊性魚類の遡上率、個体数、分布、遺伝的多様性などを調査し、ダムの影響を評価する。魚道の効果検証なども含まれます。
国内外の多くの河川で研究が進められています。例えば、アメリカのコロンビア川流域では、多数のダム建設がサケ・マス類の遡上に壊滅的な影響を与えたことが詳細に研究され、その後の対策や一部ダムの撤去議論につながっています。日本の河川でも、砂防ダムや治山ダムを含む多数の河川構造物が河川の連続性を分断し、アユやウナギなどの回遊性魚類や、河床に依存する水生生物に広範な影響を与えている現状が報告されています。
評価における課題としては、複数の河川構造物が連続する場合の累積的な影響評価、気候変動や他の人間活動(土地利用変化、汚染物質排出)との複合的な影響の分離・評価、そして陸域、河川、沿岸、海洋という異なる空間スケールおよび時間スケールの生態系応答を統合的に理解することの難しさなどが挙げられます。
結論:課題と今後の展望
ダム等河川構造物は、治水・利水といった社会的便益をもたらす一方で、陸域起源の物質・エネルギー輸送を改変し、河川から沿岸・海洋に至る陸海連結生態系全体に広範かつ長期的な影響を与えています。特に、土砂輸送の遮断や回遊性生物の移動阻害は、生物多様性の損失や水産資源の減少といった深刻な問題を引き起こすことが明らかになっています。
これらの影響を緩和し、持続可能な陸海連結生態系を保全・再生するためには、以下の点が重要となります。
- 河川構造物の影響評価と管理: 既存構造物の生態系影響を定量的に評価し、必要に応じて運用方法の見直し(弾力的運用、エコキュア)、魚道やバイパス水路の設置、さらには生態学的に意義の大きい構造物の撤去などを検討すること。
- 流域一体での統合的管理: 森林管理、農業管理、都市排水管理など、流域全体での土地利用や水利用のあり方を見直し、陸域からの健全な物質流出と水文プロセスを維持・回復させる視点を取り入れること。
- 陸海連結生態系のモニタリングと研究: 河川、河口域、沿岸域、海洋を統合的にモニタリングし、長期的な生態系変化を把握すること。また、河川構造物の影響メカニズムや緩和策の効果に関する科学的知見をさらに蓄積し、データに基づいた管理・政策判断を可能にすること。
- 分野横断的な連携: 林業、農業、水産業、土木工学、生態学、水文学など、異なる分野の専門家が連携し、陸海連結生態系全体の視点から課題解決に取り組む体制を強化すること。
河川構造物の影響は、単に特定の河川生物の減少に留まらず、沿岸域の生息環境の劣化や水産資源の枯渇といった形で人間の社会経済活動にも影響を及ぼします。持続可能な社会の実現のためには、河川構造物が生態系に与える影響を科学的に深く理解し、生態系保全と両立する管理手法を開発・実践していくことが喫緊の課題と言えるでしょう。今後の研究においては、影響の定量的評価手法の高度化や、気候変動下での複合影響の予測、緩和策の生態系応答に対する効果検証などが重要な研究テーマとなります。