陸海連結生態系における海岸林の機能:水産資源と生物多様性保全の視点から
陸海連結生態系における海岸林の重要性
海岸林は、陸域と沿岸・海洋生態系の間に位置する特異な生態系であり、両者の相互作用において極めて重要な役割を担っています。単に海岸線の防潮や防砂といった物理的機能に留まらず、生物多様性の維持や水産資源の供給にも深く関わっていることが、近年の生態学的な研究により明らかになってきています。本稿では、海岸林が陸海連結生態系において果たす多様な機能に着目し、特に水産資源の持続的な利用と生物多様性の保全という観点から、その重要性および適切な管理の方向性について解説します。
海岸林が提供する多面的な生態系サービス
海岸林は、物理的、化学的、生物的な多様な生態系サービスを沿岸域に提供しています。
物理的機能
最もよく認識されている機能は、高潮、津波、強風に対する防災・減災機能です。海岸林は波や風のエネルギーを減衰させ、後背地の居住空間や農地・漁業施設等を保護します。また、砂丘や砂浜の移動・飛散を抑制し、海岸線の安定化に寄与します。これにより、沿岸域の物理的な環境が安定し、そこで生活する生物群集の維持にも間接的に貢献します。
化学的機能
陸域から河川等を通じて沿岸域に流入する物質(土砂、栄養塩、有機物、汚染物質等)の動態に、海岸林は大きな影響を与えます。海岸林の植生や林床堆積物は、これらの物質を捕捉・吸着するフィルターとして機能し、沿岸水域への過剰な栄養塩流入(富栄養化)や土砂流出を抑制する効果が期待できます。同時に、落葉・落枝などの形で有機物を供給し、沿岸域の基礎生産や分解者群集を支える役割も担います。こうした物質循環の調節機能は、沿岸生態系の健全性を維持する上で不可欠です。
生物的機能
海岸林はそれ自体が独自の生物群集を擁しており、多様な植物、昆虫、鳥類、爬虫類、哺乳類等の生息空間を提供します。特に、渡り鳥の中継地や営巣地として重要な役割を果たす場合があります。さらに、海岸林は陸域と水域の境界領域として、河川や汽水域、沿岸浅場に生息する生物のライフサイクルにおいても重要な機能を発揮します。
- 生息・生育場所: 海岸林に隣接する河口域や汽水域、浅瀬は、多くの魚類、甲殻類、貝類等の産卵場や稚魚・稚貝の育成場(ナーサリーグラウンド)として機能します。海岸林から供給される有機物は、これらの生物の餌となる底生生物や微生物群集を支えます。
- 避難場所と回廊: 森林構造は、特に幼魚にとって捕食者からの隠れ家を提供します。また、海岸林が帯状に連続している場合、生物移動の回廊としての機能も果たし、地域的な生物多様性の維持に寄与します。
- 物質供給: 森林性の一次生産物(落ち葉、枯れ木)は、沿岸食物網の基部を支えるデトリタスとして利用されます。また、土壌からの溶存有機物(DOM)や栄養塩の供給も、沿岸の植物プランクトンや藻類の生産性を左右します。
森林管理が沿岸生態系に与える影響
海岸林の造成、維持管理(間伐、枝打ち、下草刈り)、伐採といった林業活動は、海岸林の構造や機能に変化をもたらし、結果として沿岸生態系にも影響を及ぼします。
適切な管理の効果
適切な管理は、健全な林分構造を維持し、海岸林の多面的な機能(防災、物質捕捉、生物生息場提供など)を高める効果があります。例えば、適度な間伐は林床への光量を増やし、多様な下草植生や低木層の発達を促す可能性があります。これにより、林内の生物多様性が向上し、また土壌の安定化や物質捕捉能力が高まることが期待されます。計画的な択伐や皆伐後の迅速な再造林は、長期的な視点で海岸林機能の持続性を確保するために重要です。
不適切な管理・放置の影響
一方で、過密な植栽、不適切な伐採方法、あるいは管理放棄は、海岸林の機能を低下させるリスクを伴います。過密林は樹木が弱りやすく病害虫の被害を受けやすくなるほか、林床植生が貧弱になり土壌流出リスクを高めます。大規模な皆伐は一時的に土砂流出量を増大させ、沿岸域の濁度上昇や海底への堆積を引き起こし、藻場やサンゴ礁、底生生物群集に悪影響を与える可能性があります。また、外来樹種の安易な植栽は、固有の生物多様性を損なう危険性があります。管理放棄による林分の高齢化や劣化も、防災機能や生態系サービスの低下につながります。
水産資源と生物多様性保全に向けた海岸林管理の方向性
海岸林が沿岸域の水産資源や生物多様性保全に果たす重要な役割を鑑みると、その管理においては、単一の機能(例えば防災)だけでなく、生態系全体の健全性を考慮した統合的なアプローチが不可欠です。
- 陸海連携の視点: 海岸林の管理計画を策定する際には、河川流域全体の森林管理や沿岸域の漁場管理計画との連携が求められます。陸域からの物質供給が沿岸生態系に与える影響を評価し、そのバランスを考慮した森林施業が必要です。
- 多様な樹種・林分構造の導入: 単一樹種による人工林だけでなく、地域固有の複数樹種を組み合わせた混交林や、多様な林齢構成を持つ林分を創出することで、海岸林そのものの生物多様性を高めるとともに、より多様な生態系サービスを提供できる可能性があります。
- 生態系サービスの定量評価とモニタリング: 海岸林が提供する具体的な生態系サービス(例:稚魚の加入量への影響、特定栄養塩の除去能力)を科学的に評価するための手法開発や、その効果を継続的にモニタリングする体制の構築が重要です。これにより、管理の効果を検証し、より適切な施業へと繋げることができます。
- 地域社会との連携: 漁業関係者、林業関係者、地域住民、研究者、行政が連携し、海岸林の価値や管理の必要性に関する共通理解を深めることが、効果的な保全・管理活動を推進する上で不可欠です。
まとめと今後の展望
海岸林は、陸域と沿岸・海洋生態系を結ぶ結節点として、物理的な防災機能に加え、水質浄化、物質循環への寄与、多様な生物の生息・生育場所提供など、多面的な生態系サービスを提供しています。これらの機能は、沿岸域の生物多様性保全や水産資源の持続的な利用を支える基盤となります。
海岸林の健全性を維持・向上させるためには、陸海連結生態系全体を視野に入れた統合的な管理が求められています。今後は、気候変動の影響下での海岸林の脆弱性評価や、生態系サービス価値の経済的評価、そして様々なステークホルダー間の協働による持続的な管理体制の構築に関する研究が一層重要になると考えられます。海岸林に関する学際的な研究を深化させ、その成果を現場での適切な管理実践に繋げていくことが、豊かな森と海の恵みを将来世代に引き継ぐために不可欠です。